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今日ご紹介するのは、濱野京子さんの著書です。濱野さんは有名な児童文学作家で、これまでにも多くの作品を書かれています。我が家で読んだのは次の2冊でした。
『マスクと黒板』(濱野京子(著)、装画 早川世詩男、装幀 大岡喜直(next door design))
『空と大地に出会う夏』(濱野京子(作)、しらこ(絵))
前回ご紹介した『スクラッチ』と同様に『マスクと黒板』もコロナ禍の日常を描いた作品です。美術部という設定も同じ。前回も書きましたが、1人1人同じではないけれど、大きな影響を受けたコロナ禍でした。皆、少なくとも3年間は大きな制限下で過ごしました。息子の小学校でも5年生時の林間学校は中止になり、6年生時の修学旅行は何とかできました。運動会も観客制限をしていました。
『マスクと黒板』では、黒板アートで書かれた「コロナに負けるな」を合言葉に、コロナに抵抗する中学生をいきいきと描いた作品です。登場人物の動きや感情の変化がリアルでスムーズなので、感情移入してどんどん読み進めていくことができます。
一方『空と大地に出会う夏』では、「ふわっとなんていわれても、理解できるわけがない。ぼくは言葉できちんと説明できないことがきらいなのだ。」というリイチの頭の中の言葉が、今の私にヒットしました。
多くの場面で、私たちは論理的であることが求められます。中学受験においてももちろんそうです。いかに論理的であるか、ということが重要視されています。本当にそれが全てなのでしょうか?私にはどうも、世の中が、論理的であることに偏重しすぎているように感じます。(繰り返しになりますが、中学受験では論理的であった方が高得点取れます。)
論理に偏重したときに、注意すべきことは論理が現実から離れていってしまうことがある、ということです。論理は、言葉や数字を接続詞でつないで組み立てるものですが、現象を言葉や数字といった符号に置き換える時に必ずギャップが生まれます。論理は論理の世界では正しいけれど、現象とのギャップを意識せずに使用すると、論理が独り歩きして現実とはかけ離れた世界に行ってしまうことがある、ということです。
なので、「ぼくは言葉できちんと説明できないことがきらいなのだ。」というセリフは私にヒットしました。言葉は有限で、現象は無限なのだから、言葉で表現できることの方が少ないはずなのに、、、私たちは言葉で表現できる世界のみに目を向けてしまいがちです。
「ラララ、、、言葉にできない」世界は広がっているのです。
濱野さんの著書は温かくて安心して読むことができます。是非、御一読を。
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