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「あくる朝の蝉」(井上ひさし著 『四十一番の少年』所収)を読んで感じたことの一つに、「息子は理解できるだろうか」ということがありました。
中学受験というのは不自由なものでありますが、戦時中、戦後の不自由さとは意味が全く異なります。キーワードとして、戦争、紛争、孤児など知っていたとしても、息子がその先を想像できるとは思えませんでした。
そこで、読んだのが、、、
「この世界の片隅に」「夕凪の街」「桜の国」(こうの史代著)
この本は映画化されましたし、ベストセラーなので読んだことのある人も多くいると思います。この本は、いずれも広島市や呉市を舞台にしていて、戦前、戦時中、戦後の市井の人々の生活や思いを描いています。
実は私は幼少期に広島県の呉市や広島市で過ごすことがありました。私の祖父母は原爆を経験していて、その救助活動の話を小さいころに聞かせて貰った記憶があります。
なので、この本を今回初めて読んで、知っている場所や、言葉が多数出てくるのは、とても懐かしく思いました(知っている場所があまりにも多いのでとても驚きました。呉線の駅は当時からほとんど変わらないのですね)。また、登場人物の心の機微の描写がとても繊細なので、その場所における、自分にとってはありありと目に浮かぶ海や山の景色の中における、人々の生活や思いはとても胸に迫ってくるものがありました。
『氷柱の声』でも書きましたが、戦争を経験した人でも、同じ人はいない、ということがよく分かります。戦争、原爆によって受けた影響は、重さも質も、一人一人異なるのです。
昔は、夏になれば、戦争の話や原爆の話を扱ったテレビ番組、ドラマが多くあり、戦争について触れる機会が今より多かったです。しかし今はあまり日本における戦争について扱われることが少なくなってきたように思います。そんな中、息子はどれだけ、戦争のことを想像できるだろうか、世界の紛争のことを想像できるだろうか、と中学受験勉強の中、本を探しながら模索していました。
歴史を暗記科目として捉えるのではなく、個々の人々に注目して、その視点から見る歴史的事実を少しでも想像したいと考えました。そして、私たちの記憶から忘れてしまわないように。
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