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家族で、読書に勤しんだ中学受験対策でもありました。本が好きな息子にとってはよい気分転換になっていたようです。
「麻布中入試では芥川賞候補作も出題されるのか、、、」とそれまで文学にあまり触れたことのなかった私は芥川賞はこれまでどんな作品が受賞しているか、調べました。その中で、「この本、本屋で見たことがある!」というのが、今日、ご紹介する作品です。
『推し、燃ゆ』(宇佐美りん 著、カバーイラスト ダイスケリチャード、装丁 佐藤亜沙美(サトウサンカイ))
この本は何十万部も売れた、とのことなので、読まれている方も多いでしょう。
私が読んで感じたことは、、まず、、、
「おどろいた、、、。」
著者は当時21歳。文体など、全く詳しくない私。こんな文章の書き方があるのか。びっくりしました。専門家は「そんなことはない」と仰るかもしれません。しかし、この本は文章の書き方をぶっ壊している。文章の書き方という非常に身近なものの型をぶっ壊している。新しい型を作ったような作品。私にはそんなふうに思えました。(短文を意識して書いてみました。)
以前ご紹介した『生者のポエトリー』(岩井 圭也 著)は場面によっては、非常に疾走感のある作品です。そのスピード感は、恐らく、一文一文が短いことによります。
『、、、かつて感じたことがない、衝動の波が押し寄せている。キュータさんと目が合う。彼は口の端に笑みを浮かべた。どういうつもりなのだろう。うまくできてるだろ、とでも言いたいのか。笑わせないでほしい。そんなのは、僕の詩じゃない。もう我慢できなかった。拳が震えている。僕が書いた詩だ。僕が読むべき詩だ。それはー それは、僕の言葉だ。、、、、、、』
短文が繰り返されることで、主人公の気持ちの高まりが感じられ、それによって、私の中に感動が起きました。
一方、『推し、燃ゆ』の中には「とても長い一文なのに、スピード感がすごい」という表現があります。中学受験での記述表現の基本は、「なるべく短文で」「短文と短文を接続詞でつないで論理の方向性を示す」というものがあります。この法則に慣れていたので、『推し、燃ゆ』の表現には本当に驚きました。
『、、、戸口を閉めるごろついた音、波立つガラス戸の外から聞こえる二次会がどうとかいう声、幸代さんが食器を洗って立てかけていくとき特有の硬い水音、換気扇と冷蔵庫の音、店長の「あかりちゃん、落ち着いて、落ち着けば平気だから」の柔らかい声、はい、はい、すみません、と答えるけど落ち着くってどういうことだろうせわしなく動けばミスするしそれをやめようとするとブレーカーが落ちるみたいになって、こう言っている間にもまだお客さんはいるのにと叫びだす自分の意識の声、体のなかに堆積したそれがあふれて逆流しかける。、、、』
この文では、真ん中のあたりは句読点もなくて、下手すれば読みにくくなるのかもしれませんが、句読点がないことで、かえって、主人公の頭の中がよりリアルなものとして伝わってくるように感じました。
この本ではこうした長文が、多くの短文の中に時々あって、文章のリズムがランダムに変わっていきます。読みながら、音楽のアドリブのようだな、と私は思いました。おそらく何らかの発達障害を抱えた主人公の生きづらさを表しています。
話は変わりますが、、、最近、ブログを書くようになって、本の表紙も奥が深い、と思うようになってきました。この本のデザインを担当しているのは、ダイスケリチャードさんという方です。ダイスケリチャードさんのホームページを見ると、この本のデザインを担当されたことに、納得です。表紙のデザインを誰に依頼するか、というのは誰が判断しているのでしょう?編集者の方かな?デザイナーもすごいけれど、依頼する人もすごい!と思いました。
多くの才能が集結したすごい作品です。まだ読んだことのない方は是非!
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